改めて考えてみた、飲食店にとって料理とは

商品開発

料理を2つの側面で、切ってみて・・・・

まず、料理を作る者として料理を見ると・・・・
それは、作品と捉える人もいるでしょう。
作品と捉える感覚では、当然作品を他の人の批判にさらされ、変更させられるのは嫌でしょうね。

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たとえそれが売れようが売れまいが、作品なのだから、正悪はありません。
作って、自分の作品が満足いけば良いんですね。
できるだけ良い作品にするために、価格は度外視し、良い食材を使いたいと思うでしょう。
作品なら、完成度も高く仕上げるでしょう、時間もかけるでしょう。

もうひとつの見方として、経済活動のための道具と捉える見方もあるでしょう。
その人たちは、結果的に、料理は儲ける道具でなければなりません。
おいしいとか美しいというスタンスはあまりなく、メニューの名称や見せ方など、さまざまな手段を使って、結果的に儲ければ良いと思っています。

二つの相反する見方ですが、私はどちらも必要不可欠な見方だと思います。
どちらの見方ででも料理を捉えなければ、良い料理はできません。
一方は究極にこだわり、一方では儲かる商品へ無駄をそぎ落としていく、
その作業があるからこそ、強い商品が生まれるのだと思います。

料理に新鮮味がなくなったりしているお店は、もっと料理を「作品」として見てみてはいかがでしょうか。
売れている割に儲かっていないお店は、もっと料理を「道具」として見てはいかがでしょう。

そのバランスがうまくいって、なおかつ両方の視点がともに戦いながら、お互いに強く料理に作用しているお店の料理は、作品であり道具である両方の良さを持っているものになっています。
そうすれば、料理が輝き、人を呼ぶのではないでしょうか。

最もうまくいっていないお店は、両方とも機能していないお店です。
作品としても、なんかしらどうでも良いような料理ですし、道具としても儲からないものになってます。
惰性で料理を作るお店にありがちですね。
そんなところで作る料理は、なんとなく気合が感じられないものですし、進化することがないです。

皆さんが作っているその料理は、作品になりえてますか、その料理はきっちりと経済的道具になりえてますか・・・・・いつも問いかけて欲しい。
気を抜いたら、商品は輝きを失っていきます。
付加価値はそうやって生まれて、料理が人を幸せにするのだと。

食べておいしい、見ても美しい、なのに安いそして儲かる・・・
お客さまに、経営者に、料理人に全てに良いものになっていくのです。

いつ見られても、胸をはれる作品と道具になっている料理は、ともすれば忙しくなれば、気合が続かなくなってきます。
でも、そのとき・・・・商品を作ったときの想い(思想+コンセプト+経済性)が正しければ、その料理を介して、幸福が世の中に拡散していくのではないでしょうか。
それが存在価値がある飲食店であると・・・。

そういうお店を世の中に出し続けたい。

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